憎きあの女
最後に見たのは恐ろしいほど美しい女の顔
しかしなぜ憎いのか…何があって今自分がこうしているのかはわからない
急速に覚醒する意識は残すべき記憶とそうでないものを高速で選り分けているようだ
ぼんやりと目を開ける
視界はあの時のとは違って赤くない
「おっ、本当に気がつきやしたね!旦那ー!」
男の声だ。口調は軽薄だ。この手の人間は信用ならない
真っ青な空と流れる雲を眺めながらそんなことを考える
思考の整理に意識が追いついていないのか、ずっと頭に満ちていた靄は未だ晴れる気配がない
急に黒い龍を象った兜を被った男の顔が視界を遮る
「気がついたか、オラン山の獣」
先ほどの声とは違う。高くも低くもないが少なくとも先ほどの声の主よりは信用できるだろう
「獣…?オレのことか?」
自分の声など久しぶりに聞く気がする。こんな声だったか…不思議な感覚だった
「いつから記憶がないんですかねー?」
頭を剃り上げたもう1人の男が視界に割り込み、怪訝そうな顔でアンドレイの目を覗き込んでいる
先ほどの軽薄そうな声の主はこいつだろう
「で、アタシに屈服したんですよね?『立て、獣よ』」
アンドレイが上体を起こすのをたっぷり待って、エコーは使役の言葉で呼びかけた
しかし特に変わった様子はなく、自分の手のひらや腕などを興味深そうに眺めている
「多少影響はしただろうが、やはり効果を発揮したのはエーテルの方のようだな」
ドラゴマンはもとよりその可能性を考えていたようで、アンドレイの様子に納得したふうだった
「つまりランジュやスミスと同じ…」
「おい…一体何なんだ…ここはどこで、いったい何でオレはこんなところに…お前らは誰なんだ」
ドラゴマンが考え込んでいると、魔獣だった男が声をかけてきた
ドラゴマンたちが獣との邂逅や今回の話などを聞かせていくが、今ひとつ繋がらないらしい
「とにかく、この山に未練がないのならお前は帝国へ一緒に来るべきだ。何かしてやれることが見つかるかもしれん」
突然信じろと言われても難しいかもしれんがな、と付け加え、ドラゴマンは立ち上がる
「とにかく俺たちは帝国へ向かう。来るなら来い。来ないなら好きにしろ」
「ちょっとちょっと旦那!皇帝陛下が仲間集めろって言ってるんでしょ?ついてこなかったらどうするんすか!」
小声で焦るエコーに無言でアンドレイを見やる
アンドレイはよたよたと立ち上がり、着いてくる気のようだった
「どの道ここで座ってるわけにはいかないだろう。事情は知らんがな」
「ふむ…あとは魔女が張ったっていう結界を通り抜けられるか…ですね」
「おそらく結界はジェネライトに反応するものなんだろう。エーテルで変質したあいつのジェネライトなら結界は反応しないはずだ」
「へぇ、そんなもんなんですね」
「だめならその時はその時さ」
ドラゴマンはアンドレイに聞こえないよう小声で呟いて、山の出口へと歩き出した
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